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このページは私達の活動の詳細な報告と、かっこよく言えば研究成果です!
写真付きで楽しんで観てください

ザンビア文化論

るいんば村の生活事情

ICAについて

るいんば村の活動報告

るいんば村でこれから必要とされる活動

るいんば村のこれからの開発アイディア

村落開発の精神性





ザンビア文化論
勾玉の国へ
私ははじめての外国がインド、ネパール。そしてアメリカで仕事をして過ごし、メキシコ、フランス、イギリス、スイス、タイ、台湾と9カ国を見て周ってきた。ここザンビアは記念すべき第10カ国目となる。このレポートを読まれる諸先輩の方々にはまったく及ばないであろう私の海外経験ではあるが、未熟なりの感性でザンビアの印象とそのかたちを述べてみたい。
 まず、国の名前自体に印象があまりなく、地理には強いはずの人も、アフリカのどこに位置する国なのか判らないかもしれない。わたしも当初そうであった。さっそく地図帳を開いて見つけると、まず国の形に興味が持てた。形に興味を持つのは私の癖だ。インドは象の顔、タイは蓮の花、と不思議とその国のシンボルと一致することが多い。私は日本の国の形がとても好きだ。品のあるお姫様が横たわるような、なんともいえない趣がある。ザンビアはというと日本の三種の神器のひとつである「勾玉」の形をしている。ザンビアの形にも私の好きな日本文化の象徴を見出し、ザンビアを好きになろうとしていた。はじめてMonguにおけるLozi王朝のお祭りの話を聞いた時も心踊った。聞けば、雨季と乾季で王の城が移動するというではないか。これもまた「伊勢神宮」の御魂の移動の儀式と似ている。私の知る限りへブライのソロモン神殿がやはり移動式であった。こんなふうに少しずつ日本文化との接点を探し出そうとしていた。



 「アフリカ」は私にとってまだ見ぬ未開の地、まさに「暗黒大陸」だった。いつか訪れることになる、と妙な予感だけはあったが自発的に行こうと思うことはなかった。それは「文化」と「歴史」が私にとってなじみがなかったからだ。これは全ての日本人がそうであるのかもしれない。「色」のない土地、という印象だった。ただ、有史最初の女性かといわれる「Great Mother」をはじめ、人類の起源と言われていることには僅かに興味があった。しかし「開発」を職業にしたいと思っていた私にとってアフリカは避けられない場所であったのかもしれない。アフリカで働いた医師、「Albert Schweizer」が好きだったからだ。


 色のない国(他国との比較)
 「色」のない国という印象は今も変わらない。インドや他の国と比べても常に生活に物足りなさをかんじる。それは「独自の歴史文化、宗教の消失」から来ていると思う。ザンビアだけでアフリカ文化を一まとめに語れないが、欧米による植民地化政策は確実に彼らの文化を激変させたはずだ。同じくイギリスの植民地化にあったインドではインド人はイギリス人を「自分達をIndian Dogと呼んでいた」と嫌悪していた。そして植民地時代からの記憶からか、怖れていた。
植民地化された国の人々の悲劇は日本人の戦後も知らぬ若者の私には到底理解できるべくもない。しかし折に触れザンビア人から「我々は我々の文化に誇りを持っていない」、「白人文化が常に良い文化なのだ」と聞く。彼らはインド人ほど白人を嫌悪しているようには見えない。そして、キリスト教を心から受容しているように見える。彼らの「神」は平然とキリストに代わった。わたしは民族としての誇りや異文化への対抗心をそこに見ることが出来ないのだ。 異文化への対抗心は敵愾心にならないのであれば、その国の文化と技術水準を高めうるものだと私は思う。これはわれわれアジア人独特の感覚なのか。敗戦後の日本の高度経済成長。台湾、韓国の発展もその一例といえるのかもしれない。インドは発展途上ではあるがいまだ「ヴェーダ哲学」に基づいた文化を守っている。
 この国に来て私は確実に新しい価値観の世界にいる。



教会とジャカランダの樹(ルサカ)


見えない文化(ザンビア文化の独自性)
 ルサカという「都市」から私の仕事場であるChongwe DistrictLwiimbaという「村」にやって来た。電気も水道もないどこまでも広がるブッシュに囲まれた「That is Africa !」と形容したい場所だ。村で数週間暮らし始めるとようやく「アフリカ」、「ザンビア」というものがなんとなく掴めて来はじめた。マハトマ・ガンジーは「インドは村にあり」と言ったが、まさに「ザンビアも村にあり」である。私はアフリカ、ザンビアの「独自の文化」を探していた。それを最初に見つけた気がしたのはこんなことからだった。私のカウンターパートがバイブルを片手に家に戻ってきた。「どこへ言ってたの?」と聞くと、「葬式があったんだ。彼が亡くなるのは一週間くらい前からなんとなくわかってたけどね。」「そういう勘は特別なものだろうね。」「そんなことないよ。他にも何人かわかってたみたいだよ。ザンビアではけっこうCommonな話だよ。」
 この手の話は他にも何人かのザンビア人からも聞いた。事実の信憑性はともかく、ここにザンビアの(アフリカの)独自性を発見した気がした。アフリカでは文字が発達しにくかったと言う。書物に残すと言う文化が希薄だった故に、文化は熟成しにくく、技術も高度には発達しなかったのだと当初は思った。それは一方で正しいのだろう。しかし全てを文字にして捕らえる我々の文化とはちがった文化がここには長く根付いてきたのかもしれない。それは私には見えないものかもしれない。マゼランが南洋の島を訪れた時、島の原住民達にはその船団が見えていないようであったと言う。人間の脳は予備知識のないものを見えなくする働きがあるといわれている。われわれ先進国に育ったものには見えない形の文化がザンビアの村落地域に残っているのであろう。そしてそれが悠久の歳月の間に熟成されてきたわれわれのものとは違う意味でとても高度な文化社会の姿なのだとしたら、「開発事業」とはなんであろうか。なにを指標として行っていけばよいのであろうか。
アラスカのイヌイット達は近代文明に接触するまでは、氷の上に直に寝ていたと言う。それでも凍傷にならなかったと言う。しかし近代文明が入ってきてからはベットの上に寝るようになり、氷の上では凍傷になってしまう体になった。この話は「開発」の何たるかを語る上で大きな示唆を投げかけていると言える。開発の目指す方向性は私も日々自問自答している。その中でベーシック・ヒューマン・ニーズの確保は自信を持って必要だと言える。 
今後の本格的な活動を私はベーシック・ヒューマン・ニーズの確保に加えて、自分なりに「わくわくすること」をやっていこうと思っている。とにかく住民と楽しめる活動。「わくわくすること」はあらゆる芸術、ヒューマニズムの原点だと思っているので、それは異文化、文字を超えて人々を幸せに出来る。今のところこれが私の指標だ。 







るいんば村の生活事情
                          
るいんば村の位置
Lwiimbaはザンビアの首都Lusakaから東へ45キロのChongwe Townから南へダート・ロードを35キロほど進んだところに開ける中規模の村である。Shapolaという10ほどの村からなる地方名のCentor VillageLwiimba Basic School(生徒数500人)を中心にした村で、小さなマーケットが5件ほどある。食料は野菜(トマト、レイプ、キャベツ、玉ねぎ)、ミルミル(メイズの粉。これで主食のシマをつくる。)パン、フリッター、カーペンターという小魚の干物がここで手に入る。。周囲は小高い丘が三方に広がり、二つの小川に囲まれている。
日常生活
さしあたって生活で不便なのは電気と水道がないことであろう。私の生活圏内である村の中心部には井戸は中国政府援助と日本政府援助のモノ・ポンプが一つずつあるが、日本政府のものはパイプの損傷で機能していない。深井戸がほかに3つあり、その一つから私の飲料水は確保される。
シマ・ビーンズとシマ・カーペンター、ご飯にミルクと砂糖を入れたものが毎日だが、週に一度はビレッジ・チキンを食べさせてくれている。さすがに当初は栄養が足りず、フラフラしていた。治安に関してはとてもよく、健康管理に関しては、砂ほこりが多いせいかとても疲れる。トタン一枚の屋根で、穴が所々あいているため、部屋にも砂がたまる。トタンの屋根は夜2時ころまで室内の熱を逃がさず、その後急に冷える。一度風邪をひき体調を崩した。とにかく良く寝て、疲れたら無理せずすぐ休むことにしている。



るいんば村の一般的な家と生活





ICAについて
ICA文化事業協会は総合的な開発を目標としたNG0で、世界30カ国で独立した活動を行っている。その全てが本部であるブリュッセルの国際事務局、ICAインターナショナルと結ばれている。ICAインターナショナルは国連の経済社会理事会に協議資格を有するカテゴリー2として登録されており各国への情報提供、国際会議の開催、書籍の出版、ボランティアの育成などを行っている。
ICAZの活動
ICAは、農村に農民クラブ(クラブ員男女合わせて25名程度)を組織する。それが、派生して女性クラブになり有ることもある。クラブの組織後、意識改革トレーニング、リーダーシッブトレーニングを経て、持続可能な農業の指導を行い、先述したブログラムを進めていく。



首都ルサカのICAオフィス



るいんば村の活動報告

 私の業務範囲はおよそ35km四方をカヴァーする。


1. 空手教室
  これは村人の強い要望により開始した。登録受付をしたところ50人ほど集まった。8歳から45歳までの年齢層が集まった。女性は残念ながらいまのところ3名である。16歳以下とそれより上の二つのクラスに25人ずつ分けて、週に二回ずつ計四回教えている。時間は1600から1800の二時間である。私は実戦武道会という田舎道場の初段であるが、彼らの練習に取り組む熱心さは目を見張る。センスも良い。村のとても小さなコミュニティホールを貸してくれたが、狭いので結局外で行っている。ルサカに同じく実戦派の芦原会館の道場があるのでそこにコンタクトを取り、彼らが昇給審査を受けられるように今後動いてみるつもりだ。ザンビアではプロのキックボクシング、ボクシングの選手もいるので、年少のころから真剣に磨けば、生活を格闘技で建てられるようになる可能性もある。道を何とか開いてあげたい。 またそこまで行かなくても、若者の集まるサークル的な要素もあるので、参加人数を減らさないように飽きが来ないような稽古をしている。ヨガも取り入れている。このサークルから色々な情報ももらえる。今後、空手だけでなく様々なことを教え、文化活動を実践できる「寺子屋」のようなものを目指していきたい。武道やスポーツ、遊びを通し、礼儀や勤勉さ、努力が叶った時の喜びを伝えるのは何よりも大切な「開発」といえる。



空手倶楽部(ルインバ村)


2.情報収集
 PRAPCMのワークショップを利用して、使っていきたい。しかし、調査のための調査に終わらないように気をつけたい。手前味噌だが、江戸時代の柳生新陰流の忍者達が各地で情報収集をする際、「調べようとせず、自然に耳に入ったことだけ記憶しておく」ということを実践していたという。調査しようという「我」が出れば、住民を萎縮させ、本質の情報は耳に入っては来ないだろう。これからはアスキング・ボックス(目安箱)も設置してみようと思っている。要望だけでなく、ささいな質問や相談まで、学校の先生と生徒の交換日記のような「返事」が出来るやり方を考えている。


   
    村の地図を枯れ木や石で作る村人達(ルインバ村)


3.古着などの寄付
 日常生活から出る古着や不要品を村に持っていっている。平等に分配するためのシステムはこれから考えていかなければならない。これは世界の寄付事業の問題点の一つだ。


   
             遊ぶ村の子供達(ルインバ村)         


現在のICAZと村落自治体の活動
 まずLuwiimbaではICAZは農業に関する開発活動を村の自治体からひとえに任されている。ヘルス・ケアはクリニックが中心に動く。ここに政府のソーシャル・ワーカーや学校の校長が加わり、村一体で活動している。私は農業が専門ではないので従来のICAZの活動にとどまらず、私の専門である「福祉活動」を生かして他の専門家達と共に村全体の動きに噛んでいる。
1. 農民クラブの運営(ICAZ中心に活動)
  5つのファーマーズ・クラブを統括する「サブ・カウンシル」、3つのサブ・カウンシルを統括する「トップ・カウンシル」からなる。トップ・カウンシルは月に一度定例会議を持つ。現在は壊れた村のDip Tankの修理と管理を主に進めている。
. 養殖池の建設(村全体で活動)
   魚の養殖池(Fish Pound)は現金収入を得る手段として、この地域では特に待望されている。住民から「つくってくれ」とよく言われる。資金の不足で活動は難しい。
3.水問題(政府のソーシャル・ワーカーが中心に活動)
 Water Sanitationが進んでおらず、飲料水も側のLuwiimba川から取られているため、コレラなどの病気が絶えない。資金の不足で活動は難しい。
4.フットボール・チームの活動
 フットボール(サッカー)はここでも盛んで、若者の唯一の娯楽であり、試合により他の村と交流できる唯一の場でもあり、また社会精神を学ぶ場にもなっている。チームの指導者は大人が勤め、礼儀も教えている。学校の周りにトイレを設置するためのドネーション(寄付)を募ったりもしている。私もチームに参加して、社会事業活動を盛り上げようと勤めている。このような形の「開発」は最も重要な手法である。



ルインバ小学校


るいんば村でこれから必要とされる活動

1.農業以外での現金収入の確保

 現在、工芸品等の農業以外の生産力がないに等しい。優秀な農家では細々とハムスターを増やし病院に売ったりしている。いいアイディアが見つかりしだい試してみたい。

.HIVSTDS、プライマリ・ヘルス・ケアの啓蒙

 中国政府の援助で建てられたクリニックも去年出来たばかりなので、これらの活動は村全体にはまだまだ行き渡っていない。啓蒙活動にはトランス・ポーテーションが最重要だ。わたしも医療福祉は専門ともいえるので、この活動は今後力を入れていきたい。



首都ルサカのマーケット




るいんば村のこれからの開発アイディア

1. かわら版の作成

かわら版に限らず、情報伝達機能を持つものをつくっていきたい。広告、掲示板、新聞のようなもので村にはない情報を提供したい。図書館にしても良い。異文化紹介もいいかもしれない。これで村内のコミュニケーションツールにも使える。

2. 視聴覚教材

 目的はかわら版と一緒である。私はデジタルビデオを持ってきていて、日本や他の国の映像も豊富に持ってきているので、村にあるテレビを使って視聴覚に訴える何かが出来ればと思っている。

3.劇団、アクロバットチーム

 ザンビアで生活しているうちに俳優や女優、ザンビア・テレビのダイレクター、ヨーロッパにも遠征するミュージシャン、またアクロバット(バック転やカンフー)をザンビア人に教えたいというフィリピン人のアクロバッターなど芸能関係の友達が増えた。彼らとの交流の中から、村人に還元できることを探している。すぐに現金収入に繋がるかはわからないが、劇団やアクロバットチームを育て、村を巡回してみたい。女性が参加できるようなものにしたい。

4.ツーリズム

 村独自の何か(例えば演劇)が出来たら、ハット(村人の住居)をゲストハウスにして旅行者などが来るようにしてみたい。これは時間がかかりそうだ。

5.Foster Plan(里親制度)

 ホームページ、メーリング・リスト等で、募集する。単に支援物資の募集も兼ねる。日本を含む外国から支援を待つ態勢を作る。

6.カウンセリング・ルーム

 私は占い師(占星術、数術)でもあるので(!)、若者を中心に村人に開放された占い小屋(カウンセリング・ルーム)を自宅で行おうと思う。占いにこだわらず、識字教育など寺子屋のように派生できれば言うことはない。ウィッチ・クラフトに間違われないようにしなければいけない。(笑)

 以上に記したのは私が個人的にやってみたい活動で、実現性、有効性は疑問があるが、ここから新しいものがまた見えてくればよいと思っている。

今後、ICAZの組織力で行え得る活動

1.Micro Finance

   すでにICAZで農業の分野では行われている。グラミン・バンクをお手本に、もっと幅広く組織的なものが出来ればいうことはない

. Woman Club 

 現在ICA自体ではほとんど行われていない。是非私の手で継続していきたい。

以上かなり欲張りに計画を書いてみた。小さな出来ることは少しずつはじめていくが、基本的に一つの長期計画に絞るまでは時間をかけるつもりだ。また、絞るのは私ではなく、住民なので、無理せずに機会をうかがいたい。




村落開発の精神性

電気のない夜は不便だが、精神的に落ち着く。ロウソクの灯りで本を読んだり資料の整理などをしているが、目によくないので長時間は出来ず自然、ただ内省をする時間が多くなる。これはとても貴重な体験をさせていただいている。昼にフィールドで得た情報をもとに「今、村で何が必要とされているのか」を考えているとしぜんに自己に足りていないこれから必要な技術や才能、経験を思う自分に気づく。村の調査が、自分という人間の調査に成り代わり、これからの村の行く末は自分の将来の理想の姿に成り代わる。人間の集合体である「村」の開発は、1人の人間の開発と繋がるのだと痛感する。自分を取り囲む「村」は正しく自己の鏡、投影であり、村を見ることは自分を見ることだと気づいた。私の意識が昼は「村」に向き、夜は「自己」に向く。この二つがあって「村落開発」は成り立つといえる。開発とは思っていたより本来、精神的な作業が多いのだ。村と一体化した時間を過ごすには忍耐力がいる。つい「何かをしたく」なってしまう。村人とただ意味もなく過ごす時に「仕事」をしてしまう自分を抑える。静も力なり。まだ私は未熟だ。

吉川英治著の「宮本武蔵」で武蔵は剣術を磨くさなか強くなりすぎ周囲の人々を自然におびえさせている自分に気づく。そして一度剣を置いて大地に暮らす一人の人間になろうと試みる。村で大地を耕し、小川の治水や村人との共生を経験した末についに彼の剣は「殺人の剣」から「治世の剣」に止揚された。

私も鵜の真似をする烏なりに、村落開発活動を通して「自己を治め、村と自然も治める」事を目指したい。今、村で読む本は「三国志」と「諸葛孔明」である。



るいんば村を望む











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